問題設定:トマス・ベイズは何者だったのか

統計学に関わる者で、トマス・ベイズの確率論を知らない者はいません。しかし、彼個人の生涯はほとんど謎に包まれています。その外見的な特徴すらも定かではありません。百科事典などに掲載されている彼の肖像画も、一説では別人ではないかと言われているくらいです。

キリスト教プロテスタントに属するカルヴァン派のイギリス人牧師であったと知られているベイズは、厳密にはイギリスのハートフォードシャー州の裕福な家庭で生まれている、と言われています。

ただし彼はイギリス国教会の教徒ではなく、非国教徒でした。そのため彼は教徒が入学するオクスフォード大学やケンブリッジ大学には入学することができず、遠方のエジンバラ大学に入学したとされます。

しかし、このように一見エリート街道から外れてしまっているにも拘らず、ベイズは、後に王立協会(Royal Society)の会員に選抜されています。彼の発表した論文の数は少数しかありません。ですがその発表論文は、尽く周囲の注目を集めてきました。

当時の非国教徒の歴史を遡るなら、ベイズは家庭内で初等教育を受けていたはずです。彼の父ヨシュアは礼拝堂の説教牧師であったと言います。

ベイズは早くから父親の助手として宗教的な奉仕活動に携わっていました。こうした背景から、彼の宗教家としての経歴は早くから始まっていたと考えられます。

問題解決策:宗教家としてのベイズ

ベイズが聖職者になったのは、彼が1720年に開設されたタンブリッジウェルズの長老教会の牧師として任命された時のことです。ベイズは少なからずこの教会に11年は在籍していたとされます。

と言うのも、ジョン・ノーン(John Noon)という出版者が1731年に公開した『神の慈悲(Divine benevolence)』という論文は、ベイズが記述した論文であると言われているためです。

近代科学とは異なり、歴史的に当時の科学は宗教と密接に関係していました。まだ当時の科学者たちにとっては、神によって創造された世界というプラットフォーム上で活動することが自明でした。そのため、哲学的な書物には平気で「神」という概念が登場します。ベイズが記述したこの論文は、こうした時代背景から作られています。

この論文でベイズは、慈悲深き神によって創造された世界において、被造物である人間の苦や悪が何故存在しているのかという神学的な問題設定を導入しています。この問題設定の下で彼は、神の究極的な目的が被造物の幸福であると主張していました。

ベイズがまず取り上げたのは、欠陥を持つ被造物としての人間という概念です。そして彼はこの<人間の欠陥>を<神の欠陥>から区別します。この世界が神によって創造されたとすれば、何故「幸せではない人間」がいるのかと疑問に思うこともあるでしょう。ですがそれは、決して「神のせい」ではないのだとベイズは言います。

ベイズによれば、人類は創造神の意志を完全には理解していないと言います。したがって、この世界の最下部(地上)だけを観察しても、この世界には幸福が無いと結論付けるのは、筋の通らない話だと言う訳です。

「神の御業を観察するなら、次のように結論付けることができる。すなわち、神は最も賢明で、力強く、そして無限に完全なる存在である。そのような存在ならば、どのような道理であっても、貧弱とはなり得ない。そうした存在は完全に幸福で、無知(ignorance)や弱さ(weakness)とは無縁である。そして結果的に、神は、悪行にも、あるいは自らの被造物の幸福を損なう何物にも、何ら影響をもたらし得ない。」
Bayes, Thomas, (or Noon, John). (1731) Divine benevolence, or an attempt to prove that the principal end of the divine providence and government is the happiness of his creatures, Printed by John Noon at the White Hart, Mercers Chapel in Cheapside.(Dr Williams's Library, 14 Gordon Square, London, WCl)., p20.、ただし強調は筆者。

問題解決策:確率論者としてのベイズ

ベイズの死後、1763年にリチャード・プライスの貢献によって出版された『偶然論における問題解決のための試論(An essay towards solving a problem in the doctrine of chances)』では、この神学的な理念が確率論的に再記述されています。

一見すればこの論文は、未知なるデータの観測から世界の事象に対する確率論的な信念を構成することが如何にして可能になるのかという、統計学的な問題設定を導入しているように視えます。しかしこの論文の根本的な理念は、<人間の欠陥>と<神の欠陥>という先述した区別と関わっています。

プライスは、ベイズの確率論的な思考法を紹介する上で、太陽の観測者を例示しています。この世に生を受けた観測者が初めて日の出を観た場合、その観測者には、その事象が正常なのか異常なのかを区別することができません。しかし、この事象を日々観測し続けるうちに、次第にこれが自然界では永続的に起こることなのだと認識するようになります。

これは一種の統計的な推論に基づく学習です。つまり観測者は、観測を反復することによって、太陽は明日も昇るという予測を繰り返すようになるのです。そしてその予測が的中する確率が、その観測者の信念においては、100%に近似されていくのです。

問題解決策:イギリスという国でのベイズ

ベイズもプライスも、世界の本質が確率論的であると述べている訳ではありません。これはよく誤解されることですが、厳密に言えば、ベイズの確率論は、彼が生きた18世紀のイギリス数学会の時代背景を前提として構築されています。

ベイズは、ニュートン力学を異様なまでに熟知していました。その彼は、自然が不変で予測可能な法則に従っていると考えていました。

ベイズがニュートン力学に精通していたのは単なる偶然ではありません。17世紀から18世紀にかけてのイギリス数学会がアイザック・ニュートンとゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツにおける微分積分法や無限小概念の先取権論争の直接的な影響を受けていたことを踏まえれば、当時イギリスで活動していたとされる数学者としてのベイズがドイツのライプニッツではなくイギリスのニュートンに準拠していたのは、むしろ道理です。

世界それ自体が確率論的であると認識されるようになるのは、ルードヴィヒ・ボルツマンを筆頭とする19世紀末から20世紀初頭にかけての量子力学、統計力学、そして熱力学の理論が記述されるようになってからです。この時代はベイズの後史です。ベイズの時代ではまだ、ニュートン力学が規定するような、決定論的な世界観が支配的でした。

つまりベイズの確率論は、決定論的な世界に対する分析方法として機能していたのです。世界それ自体が決定論的であるにも拘らず、分析者の方法それ自体は確率論的であるというこの発想は、<神の完全性>と<人間の欠陥>という上述した神学的な理念と精確に照応しています。もしも人間もまた完全なる存在であるのなら、その分析方法も決定論的な方法となっても不思議ではありません。<人間の欠陥>を容認する謙虚な姿勢があるからこそ、分析者は確率論的になり得るのです

ベイズとプライスのこの確率論は、世界を学習する方法を主題として記述されています。つまり、証拠を蒐集すればするほど、真理に近付いていくという、推論を介した世界の学習方法こそが、ベイズの確率論の真髄なのです。

この確率論の真髄には、ベイズの神学的な理念が照応しています。学習とは、自らの未熟さを前提としています。自身を完全であると信じる者に、学習の方法は不要です。ベイズの確率論的な思考に内在する神学的な理念は、<神の完全性>を信仰すると同時に、<人間の欠陥>を容認することを推奨していました。自身の不完全性を認めることが、<救済>へと近付くための足場となるという訳です。

問題解決策:データサイエンティストの先輩としてのベイズ

このベイズの理念は、現代社会でベイズ主義的に統計を扱ういわゆるデータサイエンティストにとっても無関係ではありません。機械学習の分野でも、特にベイズ主義や統計力学を応用した「統計的機械学習」の領域まで踏み込もうとしている機械学習エンジニアにとっても、このベイズの理念は示唆に富む内実を持っているはずです。

ベイズに倣うなら、何か不都合な現実や期待外れの事象に遭遇したとしても、それを「神様のせい」や「運が悪かった」などと<他責>的に考える訳にはいきません。むしろベイズのように、自分の無知や弱さを直視した上で、まだ視ぬ世界を探索し続け、自分自身の不完全さを埋め合わせするように、学習と推論を反復することこそが重要になります

現代のデータサイエンスや統計的機械学習のアルゴリズムは、そうした探索を支援してくれるはずです。数理モデルやアルゴリズムを学習することは、新しい世界を探索することに等しいでしょう。そして、それによって習得できたノウハウは、更なる探索を加速化させる武器になるはずです。

補足

以上の内容は拙著『「AIの民主化」時代の企業内研究開発: 深層学習の「実学」としての機能分析』の第五章:「ベイズ主義」から一部抜粋し、加筆修正した内容になっております。

参考文献

  • Bayes, Thomas, (or Noon, John). (1731) Divine benevolence, or an attempt to prove that the principal end of the divine providence and government is the happiness of his creatures, Printed by John Noon at the White Hart, Mercers Chapel in Cheapside.(Dr Williams's Library, 14 Gordon Square, London, WCl).
  • Bayes, T., Price, R., & Canton, J. (1763). An essay towards solving a problem in the doctrine of chances.
  • Silver, N. (2012). The signal and the noise: why so many predictions fail--but some don't. Penguin.