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こんにちは!

東京では、いったい夏はどこへ行ってしまったんだ?!という涼しさです。全国的に大雨が降り続いています。心配ですね。お気をつけください。

さて、MENTAなるものを始めてみました。
ここでは、ライティングのノウハウを公開しながら、みずからも学んでいきたいと考えています。今回は、自分の考え方の一部をご紹介します。

教えることと学ぶことは一体化している

「えっ。教える立場の人間が学ぶなんて。頼りなさそう」と感じるかもしれません。その通り。頼りないです。苦笑

しかし「教えること/学ぶこと」は決して分かつものではない、と考えています。

たとえば、英語を独学で学習するとき。教科書や参考書を使いながら、自分で自分に教えている、と考えられないでしょうか。独学において教師は自分であり、生徒も自分です。

もっとも効率のよい学び方は、教師としての自分を鍛錬することによって「みずから問いを作り答えを引き出す、永久機関的な学びの仕組みを作ること」ではないか、という考え方に至りました。

したがって、最終的に自分がめざす文章表現のMENTAは、いつまでも自分が師匠(メンター)の座に君臨するのではなく、みなさん個々のなかに師匠と弟子の仕組みができあがって、半永久的に文章を書き続けられるようにすることです。

学べば学ぶほど、自分が無知であることに気づきます。

知識や経験があるからといって優位性はない。むしろ知識や経験は時代が変わるにつれて、どんどん陳腐化します。だから学び続けなければならない。教える側も学ぶ側も謙虚であることが大切。

「学習は教師によってなされるものではない」ということを言ったのはドラッカーだったかと思います。あるいは、稲盛和夫氏の言葉でいえば「自然性の人」でしょうか。

みなさんの書きたい気持ちに、ぽっと火を灯して、半永久的に書けるようになっていただくこと。それが自分の願いでありミッションです。

人工知能の機械学習、教師なし学習

ところで、最近いまひとつ下火になった印象もありますが、人工知能(AI:Artificial Intelligence)は注目している先端技術です。

人工知能は、データをもとに機械学習によって画像や言語を認識できるようになります。

データを学習する方法として代表的な方法に「教師あり学習」と「教師なし学習」があり、この違いをざっくりと述べるならば、正解を与えるかどうか、といえます。正解を与えるのが教師あり学習、正解を与えないのが教師なし学習です。正解はないけれど報酬(スコア)を与える「強化学習」もあります。

人工知能と人間知能(?)を比較するのはいかがなものか、という疑問がありますが、大きな違いとして機械は疲れません。もちろん膨大かつ複雑なデータを処理する場合には負荷がかかって、マシンが熱くなったり遅れが生じたりするでしょう。しかし、データを処理する能力でいえば、人間はAIに勝てない。

といっても、人工知能には勝てなくても負けなければよい。認識能力は優れていますが、現在の人工知能はいまのところ人間のように意味づけができない特化型の人工知能(Narrow AI)です。

人間のスゴイところは、認識のプロセスや活動に意味を見い出せることではないでしょうか。見出した意味が価値になり、動機づけになります。報酬や評価のスコアが動機づけになることもありますが、それだけであれば人工知能の強化学習の範囲を超えないかな、と。

好きな仕事や趣味に没頭すること(ゾーンに入るともいいます)によって、人間知能は機械を超える創造性を発揮できると信じています。そのためには「言われたからやる」「正解を出す」「いまよりも高い報酬を得る」動機づけだけでは難しいと感じます。

まとめ

少し話が逸れましたが、人工知能の世界を考えてみても「教師ってなんだっけ?」という問いが生まれます。

開発者や技術者の教育では、フランスの「エコール42」という無償のプログラミングスクールが話題になったことがありました。このスクールには教師がいません。Peer-to-Peer Learning が特徴で、分からなけばググれ!隣りの誰かに聞け!という方針です。つまり学ぶ方法を自分で学ばなければならないし、誰かに教えることが学びになる。

21世紀の師匠を考えるなら、いままでのような教壇の上から知識を伝授するだけのスタイルでは物足りないと感じています。課題解決のノウハウ伝授に加えて、自走できる能力の育成が必要ではないか。

「採った魚をあげるのではなく、魚が釣れるようにすること」とも言われますが、自走のためのきっかけを作り、半永久的に書き続けるにはどうしたらよいのか?を体系的にまとめることが現在の自分のテーマです。

頑張りましょう!では、また。