新規事業おじさん®のつぶやき Vol.548 東芝から事業買収、仲谷の大勝負 地銀と狙う構造転換
(本稿は2025年に掲載したものの再掲です。)
以下の記事が目に留まりました。
東芝から事業買収、仲谷の大勝負 地銀と狙う構造転換
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOJC06A9L0W5A100C2000000/
>東京を拠点にするエンジェル投資家の仲谷善文氏(60)には、忘れられない「事件」がある。大分県で東芝の協力工場、仲谷マイクロデバイスを率いていた2009年。巨額の協調融資を取り付け一世一代の大勝負に出た仲谷氏のもとに突如、融資団の一角から連絡が入った。「うちは出せないことになりました」。目の前が真っ暗になった。
なかなか、壮絶な経験をされた方のようですね。
>仲谷マイクロデバイスは1970年、東芝が大分工場を立ち上げた年に仲谷氏の父親が仲谷電子製作所として創業した。仲谷氏は93年、ICの組み立てを委託していた東芝が後継者の不在を不安視したことで呼び戻され、住友商事を退職。95年に社長に就任し、社名も変更した。
30歳で2代目社長ですか。
>30代の若き経営者に強烈な影響を与えたのは東芝大分工場の協力会社でつくる「芝豊会」が99年に実施した台湾視察だった。後に世界最大手となる前工程受託の台湾積体電路製造(TSMC)や後工程の日月光半導体製造(ASE)の巨大工場は、集中的な資本投下により大規模で低コストな経営を実現していた。
この頃から、台湾の半導体産業の躍進が始まっていたのですね。
>東芝の協力会社のまま、やっていけるだろうか――。日本の半導体は前工程から後工程まで一貫して手掛ける「垂直統合型」の経営が主流だった。台湾のような水平分業の時代が来ると確信した仲谷氏は規模拡大へとアクセルを踏み込む。
その後、どうなったか。
半導体業界関係者であれば、ご存知の通りの歴史が刻まれているので、ここでは割愛します。
>05年には同県臼杵市のJT工場跡も取得し半導体工場に生まれ変わらせる。設備投入には大分銀と三井住友銀行が共同主幹事として80億円の協調融資枠を組んだ。勢いを得た仲谷氏は08年、東芝に大胆なディールを持ちかける。
>「東芝が九州で展開する後工程をまるごと買い取りたい」
>販売急減と重い固定費に苦しんでいた東芝とも利害が一致。営業などのノウハウは東芝が紹介した米後工程大手、アムコー・テクノロジーと組んで補うスキームだ。仲谷マイクロデバイス6割、アムコーが3割、東芝が1割を出資し、仲谷を母体とした新会社、ジェイデバイスに生まれ変わる。09年4月に合意にこぎ着けた。
2000年代にこの手を打っていたということに先見性と胆力を感じさせられますね。
>09年10月、仲谷マイクロデバイスはジェイデバイスとして新たな一歩を踏み出した。12年には富士通、13年にはルネサスエレクトロニクスから国内各地の工場を譲り受けて一気に規模を拡大。15年には売上高世界6位の後工程専業会社に上り詰めた。
>ジェイデバイスは13年、アムコーが出資比率を6割に引き上げ、同社傘下の工場も合流。そして15年にアムコーの全額出資となり現在のアムコー・テクノロジー・ジャパンへと至る。国内最大の後工程受託会社はこうして誕生した。
なかなか、感動的なストーリーですね。
今日はここまでとします。
できないことはみんなでやろう。

