【退職➾無職➾起業】 ゼロからの再起動日記②
偕髙塾塾長の髙橋です。
先日から
2年前を振り返っているのですが、
自分で見たくない現実、
認めたく無い現実について、
このブログの読者と
一昨日になりますが、
話す機会がありました。
彼自身も共感してくれた内容ですが、
年を重ねるごとに諦めているフリをして
実は見て見ぬふりをし続けてきた
現実というものは、
言われてみれば沢山あります。
でも、一旦見ようと決めれば、
見えなかったモノが沢山見えてきます。
見る事、認める事は辛いことかもしれないけど
ひょっとしたら楽しい事かもしれません。
今日はそんな話です!
現実を知る 2018年10月2日 火曜日
昨日から、
歩き始めて改めて分ったことがある。
「実は体がガタガタだったんじゃないか?」
ということだ。
会社で働いている最中は、
何時でも元気、
それこそ24時間働いても平気、
そんな風に見てもらいたくて、
気が付かないうちに
無理をしていたのかもしれない。
だって現実を見てみれば
昨日の今日で腹筋、腕立て伏せ、スクワットに
再チャレンジしてみると、
腹筋も腕立て伏せも出来ると思っていた回数に
全く届かない、言い訳もできない、
スクワットにいたっては、
筋肉痛で大変な状態過ぎて
一回もすることが出来ない、、
本当に自分自身が情けないなぁ
と思いながら
反面、悲壮感は全くない、
ひょっとしたら体が壊れるということを
神様が教えてくれたのかもしれない。
よしっ、
そういうコトにしてしまおう。
自分の体では無い様な
筋肉痛でひどい状態の中、
それでも、
今日も歩いてみる。
歩く前に考えておくべきなのだが、
歩きながら何をしようか考えてみる
何処に行こうかも決めていない、
気分の向くまま向かうだけだ!
歩いていて雰囲気の良い公園に辿りついた
こんな近いのに初めて来た、
その公園のベンチで一休みしていると、
昔、サラリーマンが 公園のベンチで
時間を潰すシーンが
ドラマだか漫画だかであったような気がする、
どれも深刻なシーンであったり、
何か意味があったはずなのだが、
自分自身を振り返ると
平日の昼間に、
ただ、
筋肉痛で苦しんでいるオジサンだった。
自分以外にも座っている人が
何人かいる
昔から人間観察が大好きなのだが、
いろんな事を
想像することが大好きな癖がある。
自分のことは棚にあげて
彼らに何があったのかを想像してみる
そもそも、
昼間の公園に来る目的があるのか?
昼間だから公園に来るのか?
くだらない事を考えていると
いろんなことに気付く、
端に座っている
彼は絶対にサボっているサラリーマン?
水道の近くの人は
配達の途中の休憩している人?
笑顔の二人は、
散歩の途中の老夫婦?
子連れのお母さんは大変そうだ!
良い日差しの中、
ストレッチをしながら想像してみる。
全然痛みが引かない、、、
今日は、歩いている途中でも、 家から、
そんなに(全然)遠くないはずなのに、
新しい発見が沢山あった。
もっといろいろな事を
見なければいけない、
そして
知らなければいけない。
その為には「気付く」事が
出来なければいけない。
以前、人間は見たい様に見ると教わった、
だから同じものを見ていても
大きな差が出てしまうと、
その人は言っていた。
その意味を会社から離れて実感する。
時間に追いかけられていた生活から
時間の過ごし方が変わったことで
見える風景も変わってきたのかもしれない。
痛みがひどくてちゃんと
見えていないだけなのかもしれないが、
少し、先程よりも気のせいか
歩くのは少し楽になったような気がする
完全に気のせいだと思うけど、
新しい発見がもっとあるかもしれない、
そう思って次の行動を起こす
「よしっ、ここまで来たのだから、
とりあえず駅前のコーヒーショップに入ってみよう。」
店に入ると中は人で一ぱいだった、
このコーヒーショップに入るのは
久しぶりだけれど
なかなか繁盛しているなぁと思う。
歩いていて暑かったので、
アイスコーヒーを注文してみれば
目に入ってきたのは
2週間後の
10月15日閉店のお知らせ
何故?こんなに繁盛しているのに?
お別れセールもしていないのに
ひょっとしたら、
たまたま今日だけ混んでいたのかもしれない。
また、知らない事が出来た!
そんな事を思いながら、
手ぶらで来た事を後悔しながら飲んでいると
あっと言う間にアイスコーヒーが無くなった。
今日は一日を通じて
知らないことばかりだった事に気づく
自分の身体のことも知らなかったのだから
それは、しょうがないのかもしれない。
でも、
知らないことを知ること、
それを見て考えることは
とても楽しいことに気付く
明日からの楽しみが増えたことが何よりも嬉しい
今日の一言
知らないコトを知るコトは楽しいです。
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