MENTAというサービスを用いる以上、教える側は『メンター(Mentor)』であり、教わる側は『メンティー(Mentee)』であるということになります。そのため、MENTAに登録したことをきっかけに僕もメンターを名乗るようになりましたが、それまではメンターを自称することはありませんでした。今日は、その理由についてまとめておこうと思います。これは僕自身のメンター観、そして学習観に関するものです。

1: そもそもメンターとは?

mentorという言葉はメントールというギリシャ神話の登場人物に由来する言葉で、現在では『良き指導者』を指す言葉であるとされています。しかし、ではいわゆる『先生』や『師匠』、『コーチ』などと、この『メンター』という存在は同じなのでしょうか。

確かに、同じものであるという考え方もできるでしょう。事実、活動内容や求められていることは近しいところもあります。しかし、言語学的に考えると、もしも『先生』や『師匠』、『教師』、『指導者』、『リーダー』、『コーチ』、『メンター』がそれぞれ全く同じ存在を指すとすれば、いずれかの言葉の中に、より弱い言葉は吸収されてしまっていたはずです。それぞれが呼び分けられているということは、「あの人は先生であって、リーダーではない」だとか、「あの人はコーチであってメンターではない」といったような言い方が可能であるということになります。

こうしたことを考えていくと、先生や師匠、リーダー、コーチとは異なる存在として新たに『メンター』というものが必要とされ、その言葉が広がったと考えられます。つまり、先生や師匠、リーダー、コーチとは異なる働きが、メンターには期待されているということになるはずです。

2: メンタリングとは?

mentorが行う『メンタリング』という行為についてwikipediaを引いてみると、次の文言を確認できます。

『メンタリング(英語:mentoring)とは、人の育成、指導方法の一つ。指示や命令によらず、メンター(mentor)と呼ばれる指導者が、対話による気づきと助言による被育成者たるプロテジェ(protégé)ないしメンティー(mentee)本人と、関係をむすび自発的・自律的な発達を促す方法である』

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0

ここで重要になるのが、『指示や命令によらず』という部分でしょう。つまり、あくまで『学ぶ側』の自主性を重んじることが、メンタリングにおいて重要であるということになります。これを踏まえると、メンターとは『答えを授ける者』ではなく、『答えへと導く者』であると考えることができるのではないでしょうか。

そしてメンターを『答えへと導く者』であると考えると、メンターを自称することにはひとつの矛盾が生まれます。それは、メンターが『私はメンタリングを行う者だ』と公言することは、学ぶ側に受動的態度を許すことになるということです。

3: メンターを自称することのパラドクス

メンタリングが学ぶ側(メンティー)の自主性や積極性を重んじる行為であるということは、『メンター側から教えを授ける』ことはメンタリングではないということになります。これは言い換えれば、あくまで何かを学びたいという人が、自分から『それを学ばせてくれる人』を見つけることが、メンタリングの始まりになるということです。つまりメンターとは、自ら名乗ったり、自称したりするものではないのです。

メンターがいるからメンティーがいるのではなく、メンティーがいるからメンターという立場の人間が生まれるのです。だからこそ僕は、メンターであることを自称することを、本来は良しとしていませんでした。仮に僕をメンターだと言ってくれる人がいたとしても、僕から「僕は〇〇さんのメンターだ」と言うことはないでしょう。メンターだと自称したとき、メンターには教えを与えているという態度が出てしまうからです。

つまり、メンターとは『なる』ものではなく、『見つける』ものでしかないのです。

4: なぜ今はメンターと名乗ることにしているか

メンターという存在がこれまでの『先生』や『コーチ』とは異なるものであるはずだという確信、そしてメンターを名乗ることによってメンターというものをそうしたものと同列に扱うことによる"本来のメンタリング"の消失を防ぐべく、僕はこれまでメンターを自称することはありませんでした。

しかし、メンターという言葉は広く一般に膾炙するものとなり、多くの人が"メンターを求める"ようになりました。そのとき、肩書きとしては確かに『メンターである』ことを明らかにしている方が、メンターを求めている人たちから見つけてもらいやすいですし、結果としてそういった人たちの力になることもできるようになるでしょう。メンターという言葉が一般化したこと、『精神や関係性の在り方』から『一種のポジション』へとメンターの意味が変わったことを受けて、僕は自分がメンターであると名乗ることを自分に許しました。

とは言え、本来のメンターがどういうものであるかということは、今も僕の考え方や哲学の根幹に宿ったままです。そしてその理念があったからこそ、英語学習コミュニティとしてオンラインサロンを作ったとき、その基盤に『独学』を置くことにしたことを、はっきりと覚えています。MENTAを利用する上のサービス上の用語として、そしてメンターという言葉の意味の変質を受け入れた結果として、僕はこれからもメンターであると名乗ることがあるかもしれませんが、少なくとも"職業"としてメンターを名乗ることは決してないでしょう。

ただ、僕の考え方や哲学、行動指針、これまでの経験などが誰かのガイドになっているのなら、これほど嬉しいこともありません。そしてそこに嬉しさを見出しているというこの事実だけが、唯一僕がメンターを自称することを正当たらしめているのかもしれないと、今は思うのです。