お話を聴く中で、大切にしたいこととして「共感すること」があります。
これは「わかる」「わかります」というのとは、ちょっと違います。
そのつらさや苦しみ、しんどさが本当に「わかる」ことはないのではと思うからです。

「共感」は、なんというか「寄り添うこと」なのではないか、という風に考えています。

そのために、今自分に必要なのは「聴き手として倒れることのない聴き方」かなと思います。
「寄り添いたい」気持ちが大きくなりすぎて、自分が安定感を失ってはいけないなと感じます。
その安定感を自分で育てていくこと、そのために必要なことを気にかけて、心がけていきたいと思い、昨日も本を買いました。
ただ読むのではなく、メモを取り、ノートを作りながら読むことで、ゆっくりとですが自分が成長していけるように思います。

ゆくゆくは心理系の資格取得を目指したいですが、今は金銭的な余裕がないので、できないという現状があります。

でも「お話を聴く」ということにおいて、これまで私が聴いてもらう側に立っていたとき、私の心を軽くしたのは必ずしも「専門家」ではなかったのです。

そのことから、今の自分にもできることはあるはず、と思っています。

私は「導かないように」心がけます。
「共に悩みたい」と思っています。

こちらが「答え」を出すということは、とてもむずかしいことだと思うのです。
「わかる」ということすら、大変なことなのですから。
同じような事柄が問題になっていても、同じことが「答え」になることはないと思います。

お話を聴くことは「解決を求める」ことや「結果を求める」こととは、どこか違うようにも思います。
「お話を聴く」ことは、その方の「凝り固まったしんどい気持ちをほどく」ためのマッサージのようなものなのかもしれないと思います。

「話をすることで楽になってほしい」とは思いますが、それは「話をしたら楽にならなきゃいけない」ということとは違います。
どうにも楽にならないしんどい気持ちを持っている、そのことが私に伝わってくる。
つらさを抱えているんだという事実を共有すること。
まずはそのことが大事だと思うのです。

また、言葉が出てこない、同じことを繰り返し吐き出してしまう……それも大切なことです。
そこにも、意味はあります。

時間がかかることを恐れないでください。
簡単に解決しないことだから、苦しんでいるのだと思います。
私も、じっくりと向き合いたいです。

そんな気持ちで、プランをご提供していきます。

[さいごに]
話は変わりますが、メンタからの普段のお知らせメールは受信フォルダに入るのですが、なぜかメッセージをいただいたというお知らせメールが受信フォルダから弾かれてしまっていました。
気づくのが遅れたことを反省し、今後は1日に1回は受信フォルダ以外のメールも確認するようにしますが、対応が遅れた場合につきましては大変申し訳なく思います。