僕は現在、翻訳家であると同時に英語学習のメンターとしても活動していますが、20代前半の頃から個人的に心がけていることがあります。それは、常に相手に何かの価値を与えられるようなリソースを持ちたいということです。

メンターという存在は、何かの専門家というだけではありません。言葉を交わすだけで常に示唆を得られたり、一緒にいるだけでも多くを学ぶことができる、そういう存在がメンターと呼ばれるに相応しいのではないかと思っています。

だからこそ、自分でもそういった存在になるべく、努力を惜しんではいけないと考えています。自分の知見を広げるため、専門外のことについても勉強をしたり、門外漢のことについて知見を持ち、哲学を育んでおくことが重要なのではないかとも思うのです。英語のメンターなのですから、英語について詳しいのは当たり前です。メンターとしての魅力は、英語について学びを深めた結果、僕自身がどういう薫陶を受けたかということであり、それが他の人の心の琴線に触れるものであるかどうかではないだろうかと、そう思うのです(もちろん、そうして知見を深めるために、英語で情報収集することができることは大きな意味合いを持っています)。

こうした哲学もあって、メンティーの方、また今はまだ直接のメンティーではない方からでも、英語に関することでなくとも、『〇〇についてどう思いますか』といったような質問を受けるのはとても楽しいことであると感じています。それに対してどのような答えが自分の中にあるか、それを再確認することが思索を深めることにも繋がりますし、自分の中に答えがない全く新しい問い掛けであれば、またひとつ学びを得ることができるからです。

「メンターとは積極的に教えを与える存在ではなく、存在が学びになる存在のことだろう」という考えについては以前に記事にしましたが、改めて考えるに、やはりメンター自身も常に広く視野を持ち、視座を高め、学び続けながら、時に質問されることによって自分の学びの浅さに気付きつつ、また学びを深めていくことが重要なのだろうと思います。