Twitterで知ったのですが、どうやら『英語力なしでも翻訳家になれる!』や、『翻訳家はとても楽な仕事! だれでも月収〇〇円!』といったフレーズを押している講座があるようです。しかもそれが中々の高額であるようなのです。

しかしこの講座、内容としては「Google翻訳を使えば翻訳はオッケー」など、翻訳家の在り方として必要なマインドセットも技術も教えてくれないどころか、それでオッケーだと思ってしまった人がいれば翻訳業界そのものの価値が毀損される可能性もあるようなものだとされています。具体的な名前を出すことがその講座の炎上マーケティングに加担することがあってはいけないので明言は避けますが、『翻訳講座』『詐欺』のようにGoogle検索して頂ければ該当の講座(と、それに類似する講座)を確認することができます

僕自身、翻訳家になりたい方に向けてコンテンツを提供したり、(英語の講座ではなく)翻訳の講座を受け持ったりすることもあります。そして自分自身の体験として、英語力を高めていき、その上で翻訳家に転向したというキャリアがあります。その身から、果たして翻訳家は誰にでもできるような簡単な仕事なのかどうかということについて、少しお話しさせて頂きます。

結論から言えば、翻訳家は誰にでもできる仕事ではありません。高い英語力はもちろん、毎日勉強の連続ですし、自分の専門分野については専門書を読んでも充分に理解できるだけの知識が必要になってきます。また、『空き時間で自由にできる仕事か』というとそういうわけでもありません。確かに締め切りさえ守っていればフリーランスとして働く分には自由かもしれませんが、逆に言えば締め切りを守るためには空き時間を作る余裕がないということもあるかもしれません。

とは言え、もちろん特別な仕事でもありません。選ばれし者だけがなれる特権的な職業かと言えば、そんなことは決してないでしょう。地道に勉強をして、少しずつでも研鑽を積むことができれば、そういう意味では"誰でも(ある程度稼げる)翻訳家になれる"と言えます。しかしそれは、少しずつ勉強をした場合の話であって、『短期間で』という条件がつくと、不可能性はぐっと上がります。これはちょうど、『勉強をすれば誰だって(医師免許を取って)医者になれる』という命題と同じです。

これは僕の個人的な哲学というか考え方なのですが、リスクは時間で希釈することが可能です。何か結果を出したいとき、時間を掛けることができれば、それだけリスクは小さくなります。一方、短期的に結果を出そうとすると、そのためのリスクも大きくなるのです。今回の講座は、『本来は長期的に達成を目指すような目的を短期的に(しかも積み重ねがない状態から)実現できる』というのですから、相当ハイリスクな提案であることは間違いありません。

閑話休題、とにかく翻訳家になるということ、そして翻訳家で在り続けるということは、地道な時間の使い方が必要なことです。そういった仕事である以上、『翻訳家に向いている人』と『向いていない人』がいることは間違いありません。本当は翻訳家に向いていない人が無理に翻訳家になったとしても、よほど本人がなりたくて夢を叶えたのだというような場合を除けば、それは幸福なことではないはずです。そもそも英語力を活かす仕事なら、翻訳家以外にもたくさん存在しますしね。

単純に考えて、『翻訳家として大成するだけの英語力と、それと合わせて特定の専門分野の専門知識を合わせ持つこと』が短期間で可能なのかと考えてみると、有り得ないということは分かるはずです。しかしここを『実は可能だ』と言ってしまうところに、"広告としての魅力"があるのです。これまで"ない"と思われていたものを"ある"と言うことは、それだけ価値のある広告であると言えます。しかしそれは広告として価値があるだけで、そのプロダクトに価値があるかは別の話。そもそもそんなプロダクトが存在するかどうかも、広告の良し悪しとは無関係です。

仮にこの講座を受けて翻訳家としてデビューすることができたとしても、前述したように、講座の内容が、translatorship、つまり翻訳家精神とでも言うべきものに悖るものなら、翻訳市場そのものの価値が失われてしまうことになります。ミクロでは個々の被害者が、マクロでは市場そのものが、大きな打撃を受ける結果となるのです。

悪質な講座を見分けるときの大きなポイントは、『英語力が低くても大丈夫』や『月収〇〇円も夢じゃない』など、"誰でもなれる"ことや、"確実な効果がありそうなこと"を押しているかどうかです。加えて、例えば『年収1000万を目指せる!(年収1000万が"確実"ではない)』など、「絶対とは言っていない」のような言い逃れが可能な表現になっているところもポイントです。甘言に騙されず、リテラシーを高めて対応しましょう。

ちなみに、僕自身が翻訳講座を行うときには、『翻訳家になれること』や『最低月収』などを決して保証しません。むしろ、講座の中で『自分は翻訳家に向いている/向いていない』の判断をしてもらい、向いていないと感じた人は別の方法で英語力を活かすことを考えてもらうようにしています。また、メンタリングの中では、その人がどうして英語を学びたいのか、どういう目的なのか、それに合わせてどういった勉強をしていくことが望ましいのかといったことを一緒に考え、その中で『自分は翻訳家になりたいのだ』と強く思う人がいればできる限りのサポートをしています。

では、どうしてわざわざ本業で翻訳家として活動しているのに、翻訳や英語について教えたりするのか? それについては以前に記事を執筆したので、こちらからご確認くださいませ。

どうして翻訳家が英語を教えるのか?
前編:https://menta.work/post/detail/22564/M3rmkJznrRk3Y6RXl8g7
後編:https://menta.work/post/detail/22564/lHzGJGvcLTetWlvphLND