英語に限らず、何かを学ぼうと考えるときにどういったことを考える必要があるのか、またそれに対するメンターとしての在り方をどのように僕が考えているかということについて、以前に記事にまとめました。

僕が"メンター"を自称するのが好きではない理由:
https://menta.work/post/detail/22564/XuJvu9MLLwAkNrm7hMD6

何を知っていて、何を知らないか:
https://menta.work/post/detail/22564/WKkAP9XoXOhFptxZxUNH

ここでは、何かを学ぼうと考えるとき、学習者としてどういったマインドセットが必要になるかということを考えてみましょう。

学習者に絶対的に求められるマインドセット、言い換えれば姿勢とは、『自分から学ぼうと思う意志』です。何かを学ぶということは、本質的に能動的な行為であり、受動的な行為ではないのです。仮に受動的な態度に終始して何かを学び得ることがあるとすれば、小学校、中学校、高校、また大学で授業を受けていた私たちは、少なくとも何かひとつくらい、"身についた"と胸を張れるような知識や技術を誰でも身につけられて然るべきです。教師という、教える技術に(少なくとも世間の平均と比べれば)長けているはずの"教える専門家"が、自分が専門とする分野について教えてくれているのですから。

しかし、小学校、中学校、高校、大学というステージを思い出してみると、同じように肩を並べて同じ内容の授業を受けていたはずなのに、人によって成績や理解度が違ったり、それが社会人になってからも活かせるだけの知識や能力に昇華されているかにはばらつきがあることは万人が認めるところでしょう。

これはもちろん、個人の能力差というところもあるのかもしれません。ある人は暗記が得意だが数学が苦手で、別の人は数学が得意で暗記が苦手ということもあるはずです。それでも、それがすべてではないのです。学校で授業を受けていて成績が良かった人は、須く自分でも勉強をしていたはずです。自学自習はほとんどやっていないという人でも、授業中に与えられた情報を吸収し、それを自分で考えて問題解決に活かせるように考えたはずです。与えられた課題や提示された問題に対して、それを理解しようと努力した経験があるはずなのです。

この一事を見ても、受動的に、ただ機械的に課題や問題をこなしているだけよりも、能動的に、主体的に理解を求めて取り組んだ人の方が何かを身につけている傾向が強いことは明らかです。人は自動的に賢くなることはできないのです。つまり、『これさえやればOK』というような、能力を向上させるための万能薬はないのです。

しかし、メンターやコーチ、コンサルタントなどに師事して、どうすれば(ある程度)効率的に能力を伸ばしていくことができるか、どこに自分の気付いていない問題点があるかということを見つけることは可能です。MENTAというサービスも、『答えを与えてもらえる場所』ではなく、『答えを見つけるための場所』であると言えるのではないかと、今は考えています。