能登の被災地ボランティアに行ってきましたので、総括してみます

10月にもなるのに、なぜ復興が進まないのか、その理由が現地に入ったからこそ見えてきました

私見ですが、現場に入った石川県出身のベテランボランティアの感想としてお読みください

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私は金沢に18歳まで住んでいた石川県出身者です

2013年の東日本大震災以来、被災地ボランティアに通う者です

そして、日本の津々浦々を何度も訪れるオートバイの旅人でもあります

能登は子供の頃に自転車でよく走りに行きましたので、地域の状況は50年前から存じておりますが、”超ド田舎”です

その超ド田舎状態は、今回訪れてみて、さらに加速していると感じました

日本を奥の奥まで、つぶさに見てきた者からして、能登の先の方は日本の過疎地の行く末の”先の先”にある状態、と感じます

地理的条件はどん詰まり、その先の発展が(失礼ながら)無い

つまり「日本の限界集落の極致」の地域が、地殻が大きく動く地震に2回も遭われ、そのうえ水害に見舞われた、という状況です

ある意味、日本の”ド田舎”を象徴する”過疎地”を襲った地域での災害ボランティアですから、ボラ経験者からすると、とても勉強になり、考えるところ大でした

また、「地震」と「水害」の両方を経験できたのも貴重でした

【活動内容】

10/13 珠洲市内の地震半壊宅で家財搬出
10/14 能登町の水難宅で庭の泥カキ

元旦に発生した2度目の地震は、昨年の地震で傷んだ家屋にとどめを刺したのでしょう、頑丈な家はなんとも無く建っていますが、その隣の古い家屋はペチャンコという状態で、耐震度の標本のような現地です

そこには被災度の大小や”格差”があり、個人個人の被害の大小があります

「10月になるのに、まだこの状態なのはなぜか?」
被災現場に来る前に抱いたこの疑問について、考えてみました

能登の被災を見て思うのは、広い面積に対して住んでいる人が少ない、さらに被災現場が点在している、というまさに日本が進んでいる方向の先にある被災サンプルのような地域であることです

国は地方自治体からの”要望”によって動きますが、要望を果たして出せているのか、あるいは、受け入れるシステムが出来ているのか、という疑問が湧きますが、よく考えると、広い山間地や海辺に少ない人が住む地域で「どう要望をまとめるか」というのは至難の業だと思います

第一に、被災されている方はそれどころじゃないですし、行政の側の人たちも被災されていますから、要望をまとめていくという作業は時間的にむずかしい

それこそ「被災地行政丸ごと任せろチーム」のような屈強組織で現場からガンガン発信し、ドンドン復旧・復興するというようなシステムをあらかじめ用意しておくと良いでしょう

これを「復興庁」というのなら、直ぐに始めて欲しいと思います

専門的な知識や経験が必要ですし、そこにお金を投入すれば、すでに育っている人材を吸収して組織化することは難しくない

阪神淡路大震災以降、災害発生したら各地域の社会福祉協議会がボランティアセンターを立ち上げるというルール化ができて、それが活かされたのが東日本大震災でした

経験者がボランティアセンターの立ち上げと運営に協力し、東日本大震災では素晴らしく機能していたのを、ボランティアに入って力強く感じたものです

それに対して能登のボランティア募集は驚くほどのお粗末さで、事実上、「ボランティアには来るな」と言うレベルの募集人員しか県の公のHPではされていません

私は「少ない募集枠」が埋まっていて、石川県の募集には入れませんでしたが、現実には、現地でボランティアを「もっと来てくれ!」と言っています

それが出来ないのは、なぜか?
石川県の場合は県が受け入れ窓口を一本化したことにより、そこでしか「公には」ボランティアは受け入れていなくて、それ以外は「非公式」に潜り込むしかありません

私は #ボラキャンすず さんを現地の知り合いから紹介してもらい、直接珠洲に入って作業させていただきました(モンベルさんが協賛されています:ありがとう)

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つまり、各ボランティアセンターでの受け入れを県が一本化しているために入りたくても入れない、という状態で、それはつまり、「受け入れられるキャパが大きくすることができない」という地域性がそこにある証拠です

初日の震災家屋の作業はボラキャンすずさんの指示の下で作業しましたが、翌日の水害家屋はボランティアセンターに行って、そこでの指示で動きました

現場での作業は #オープンジャパン さんが仕切ってらっしゃったので、ボラセンの組織自体が小さく、リソースも少ないことが見て取れます

オープンジャパンさんの現場の仕切りは、見事なものでした

さて、能登の惨状はいまだ悲惨な状態ですが、これはピンチであると同時に、日本にとって「大チャンス」です

この”最も難しい過疎地域災害対策問題”を解決できるのなら、必ずや明るい未来を迎えることができると、いちボランティアとして思います

被災者、地域行政、県、国、そして災害支援市民団体、NPO、といった災害に課関わる人たちをまとめ、縦割りと横串刺しで機動的なシステムと組織をつくるチャンスです

復興が進まない故の「悪者探し」をやりがちですが、それは無意味です

現状をきちんと分析して、未来への備えにすべきです

道路は、陥没したり隆起したりして、マンホールは突き出したり陥没したり、道路はひび割れ、川にかかる橋の前後は地盤沈下で段差が大きくなって「ジャンプ台」になっています

これはオートバイ乗りの身には危険極まりない状態で、ちょっと気を抜くと吹っ飛ばされます

他にも、金沢の北西に位置する海岸線の内灘町の地震による地盤崩壊も見てきました

砂丘の上にある町なので、さもありなんです

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災害に強い日本を求めるなら、「ここには住むな」という行政規制が必要になるでしょうし(実際にそういう地域もありますね)、それにはお金と知恵が必要です

そして、地震国、災害国、の日本において「明日は我が身」です

ちなみに我が家は東京にあって、こういったボラ経験から、3週間は自力で生活できる物資を用意しています

現場からは、以上です

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追記:能登の人口

輪島市は2.3万人、能登町は1.7万人、珠洲市1万人、穴水町7千人

少ない人口なのに面積は広大で、輪島市426㎢、珠洲市247㎢、穴水町183㎢、能登町273㎢で、奥能登全部合わせて1130㎢です。そこに住むのが5.1万人で2.2万世帯。

東京23区が627㎢で約1千万人ですから、およそ23区の倍の面積に190分の1の人しか住んでいません。東京で人口の少ない区と言えば、ど真ん中の千代田区で6.9万人なので、奥能登はそれより少ない人口が能登半島の顎から上の、とてつもない広さの地域に住んでいるということです。

「輪島」や「和倉温泉」というブランドはありますが、実際の人口は極めて少ないのがお分かりいただけるでしょう。ご自身のお住まいの市や区、町や村の人口と比べてみれば行政側の難しさが実感できると思います。

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追記2:じゃあ、どうする?巨費を投じるか?

広大な土地に僅かな人口の奥能登

復興のために巨額なお金が必要ですが、それをあの地域に落とせば、受け皿が無いので現地が困ります

港を直して、道路を直して、町のインフラ機能を直して・・・、広大なエリアの復興ですから仮に復興に1兆円投じるとします

それを5万人ちょっとしか住んでいない広大なエリアに投じると、こんなイカが100杯くらい現れてもおかしくありません

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カの駅つくモールの巨大スルメイカのモニュメントですが、コロナ禍の政府からの交付金2500万円+町費500万円で作られたものです

結果として、外部の人間によって投入したカネが食い物にされるのは見えている

自然消滅しつつある地方の過疎地に、巨費を投じても良いのか

現地も、石川県も、国も、それが分かっているので身動きが取れないんだなあ、と思いました

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