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「他人軸」「自分軸」という対比、良く聞くようになりましたよね。
この言葉に反応するとしたら、きっと今「他人軸」なのでしょう。
そして「自分軸を持たなきゃいけないんだろうな、きっと」と感じながら、でもそのとっかかりが分からない、または「自分軸で生きる」ことにどこかしら後ろ向きに捉えているのかもしれません。

自分軸=正・良、他人軸=謝・悪、ということではありません。
自分が他人軸で生きていることに対して疑問や違和感を感じているとしたら、どうすることができるのか、という可能性のお話です。

1.迷ったとき真っ先に周りを見てしまう、配慮して予想してしまう

……ということを日に何回もやっているとしたら、他人軸で生きることにきっと辛さを感じていることでしょう。

迷う、というのは何かを決断する前の不安定な状態です。脳は安定を好みますから、まずこの不安定さが辛い。
だから安定したいから早く決めたい。何をどう決めるか、より、「早く」が前に出てしまう。
すると早く決めるために他人を観察する。他の人はどうしているのか、と。
または周囲の情況を「決定材料」にする。
更には「どういう決定を下せば皆が喜ぶか」を想定して選ぶ。

こう聞くとそこそこ手間がかかるやり方をしていると感じるかもしれませんが、問題は手間ではないです。
検討材料が全部「自分以外」だから、楽なのです。

迷って決められない人は、「自分が決める」ことが一番嫌なのですから、そこに「自分」がいなければ楽なのです。
だからどんどん「自分以外」を材料にして判断・選択・決定することが「自分のやり方」になっていくのです。

2.役割と責任ばかり強くなって、自分の価値観とバランスが取れなくなっている

他人軸傾向が強くなりすぎる理由の一つが「役割」を完ぺきにこなそう、とするときです。

大人には役割がたくさんありますよね。
妻・夫、親、役職。それだけでなく「働き盛り世代」としての役割や社会から向けられる期待値もあります。
社会が苦しくなればなるほど「出来る人」「出来るはずの人」への期待値が比例して高くなる。
今30代以上の大人の肩にのしかかる「責任」は非常に重い。

そうなると、自分軸、なんて言ってられません。自分がどうしたいのか、より「正しく角度が高い決断」が最優先だと考えるようになります。
するとやはり、周囲を見るようになる。
絶対的な正解なんてないと分かっているから、せめて「一人でも多くの人が納得する決断」をすることが最善だと考えるから。

表向きの顔(=役割)でのこうした判断基準は、繰り返せばどんどん自分に馴染んでしまい、他人への配慮が必要ない場面でも「他のひとならどうする」を基準にしてしまうようになります。
自分軸、自分の価値観のはいる隙などありません。

日に日に欲求不満が高まってしまうのです。

3.「他人軸をやめよう」だけでは解決しない

自分を主にして決断できない状態に役割や責任まで絡んできたら、ただ「他人軸をやめよう」というだけでは解決しません。
というより、そんな一足飛びの決断は出来ない。

まず最初に立ち戻ります。
なぜ、他人軸だと違和感やモヤモヤが残るのでしょう。なぜ自分軸のほうがいいのかも、と思ったのでしょう。

恐らく先ほどの「役割と責任」と関係があります。

他人軸で判断した責任に対しては、半分だけしか感じる必要はありません。
それがネガティブな結果になったとき「皆がいいだろうと思ったことを元に判断した」と思っているから。「他の人が決めても似たような結果になったのでは」と考える余裕がある。
つまり自分を責める必要があまりない。

逆に自分軸で、自分が「こうすべきだ」と考えた結果で行動して好ましくない結果になった時は、まるごと全部自分の責任だと感じることでしょう。
それはかなりの重荷です。状況にもよりますが自信喪失どころか自己否定にまで至る可能性もある。実際に周りから批判されることだってあるかもしれない。

では逆はどうでしょう。

他人軸で判断したことがいい結果を生んだ時。
半分は他人の意見で出来ているわけですから、まるごと自分の実績と捉えることは出来ません。

逆に自分の意見を精査して決めたことが成功したら「自分の成果だ!」と胸を張ることができる。

他人軸は「ローリスク/ローリターン」、自分軸は「ハイリスク/ハイリターン」なのです。

どちらかだけが正しいわけじゃない、というのはそういう意味です。

4.必要なのは、もう一度価値観を掘り起こしてアップデートすること

ただし、じゃあ他人軸でいいのか、というと、これがまた人間の難しいところです。
カウンセラー、コーチの目から見れば「興味深い側面」とも言えるでしょう。

やはりどこかで、手ごたえや遣り甲斐を求めているのです。
だってそうでなければ、「ローリスク」の他人軸のままで何の疑問も違和感も感じないはずなんです。

なぜわざわざリスク度が上がる自分軸に価値を感じるのか。

「自分だけの力でやってみたい」
「自分が決めたことで、自分なりの責任の取り方で、周囲から評価されたい」

という気持ちがあるからです。

そこには、リスクがどうの、という問題はもはやほとんどありません。
自分自身の価値観を掴んで、言語化し、行動で示して、周囲から受け入れてもらいたい、という欲求そのものです。

つまり他人軸とか自分軸、というくくりではなくて、「自分の価値観で行きたい」という、一つ突き抜けた欲求が、今あなたの前に立ちふさがっているのです。